ウマからヒツジへ橋渡し\(^o^)/

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  早朝散歩⇒今朝も奥須磨公園からの帰り道、山の中腹を見ると木の葉を失った枯れ木が寂しく佇んでいる?
 
 年の瀬ともなると、散歩道の風景も寂しげだ。
 
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 そこを過ぎ、健康地蔵尊の方へ歩いて行くと小さな谷間に木の橋が架かっている。そんな橋を見て、あの橋に
 
は名が付いていたのだろうか?? ?  橋の名といえば、京都、嵐山の「渡月橋」が有名だ。
 
だって「くまなき月の渡るに似る」と亀山天皇が満月の晩に舟遊びをされ、月が橋の上を渡るように見える
 
ことから、そう詠んだとか、でも!私はこの故事を知るまでは、単純に月へ渡る橋 だとロマンチックに考えていた
 
そんな感じで今見ている木の橋に名を付けるとすれば、幸せを見つけに渡る 橋から「ラッキーブリッジ」と
 
命名しても面白いのでは?。←この橋(ハシ)渡るべからずの、表示を見て真ん中を通ったのは一休さん
 
そう言えば「うま年」も今日でお終いだ。明日からは「ひつじ年」干支の橋渡しはこの橋で\(^o^)/
 
な~んて思ってみた。そうそう、うま年の馬で思い出したが、馬鹿や阿呆の語源はどちらも、中国、秦の時代
 
に生まれたモノ、鹿を指して馬と言わせた(宦官の趙高) 阿房宮の建設に何十万人という民を酷使(労役)し結
 
局は未完成に終わったことから、後世の人達が阿房宮→阿保と言ったとか!←アホの生みの親は秦の始皇帝
 
だったんだと、アホな親爺はそんな事を思いながら歩いていた。