寒食!

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 早朝散歩⇒今朝も暗闇の中を懐中電灯も持たずに山道を歩いていると。向こうの方からKさん(女性)が懐中
 
電灯で足元を照らしながらヤッテ来た、互いに何時ものように挨拶を交わす(^-^)
 
するとKさんが今日は大寒なのに、そんなに寒くは無いですねと言いながら通り過ぎて行く
 
なるほど、そう言われてみると今朝はそんなに寒くはない(*^_^*)
 
昨年の12月22日が冬至だったのに早、大寒か、あと!2週間もすると節分(2/3)。次の日が立春だ!暦の上だ
 
が春だよハル でも、寒さはこれからが本番だ。
 
話が変わるが中国では冬至から数えて105日目が「寒食の日で火を使わないで食事をする習慣がある。
 
これは春秋時代の晋の文王(重耳)が19年という長い亡命生活のすえ、君主の座に着く、
 
その長い亡命生活を支えた重心達に論功行賞を与えたのだが、介子推だけ?何かの事情で報いられなかった
 
のだ。そこで介子推(かいしすい)は年老いた母を連れて山奥へ隠遁してしまうのだ。
 
後にその事を知った文王は大きく後悔をする人をやって探させるが見つからない。
 
仕方が無いので避難路だけ設けて山に火を付ける、こうすれば如何な介子推も出てくるだろうと思ったそうだ。
 
ところが焼跡の山中を探すとほこらの中で年老いた母を抱いて焼身していたのだ。
 
文王は自分の過ちを大いに悔やみ、綿山というその山の名を介山と改め、全土に己のを示したと伝えられて
 
いる。人々は介推の死を悼み、国中が彼の崇高な気概に涙した。
 
そんなことで、冬至から数えて105日目は火を使わずに「寒食」する習慣が出来たとか。
 
蛇足だが長編時代小説「大菩薩峠」(だいぼさつとうげ)の作者、中里介山はこの介子推の清廉さに感じて
 
ペンネームを介山としたとか