恤り .
早朝散歩⇒5時50分家を出る。路面が濡れている?夜中に雨が降ったのか?空気が乾燥気味だから、ある意
味、慈雨(じう)かもしれない、そんな事を思いながら、真っ暗な山道を歩いていた。
すると、夜中に読んでいた本の中に 恤り(いたわり)とルビを振った文字が出てきたのだ。
それにしても恤り なんてルビを振ていなければ読めない文字だ。
ふつう、労り はこの文字を使う、だが司馬さんは敢て恤り を使っている。りっしんべんに血と書く文字は、
心が血に染まるような優しさを顕しているのだろうか?そんなことを思いながら歩いていると、
今度は施す と言う文字が浮かんできた。施すとは富める者が弱者に対して優しさを持って物を与える事だ。
だが!我々、貧乏人に言わせれば上から目線を感じてしまい面白くない。
誰だって施す側に廻りたいのだ。←これが無い物のヒガミと言うものなのだ(笑)
だが!坊主の托鉢はそうではない。生活に必要な最低限の食糧などを乞い、信者に功徳を積ませる修行を
させているのだ。けっして乞食(こつじき)では無いのだと胸を張る(笑)
今朝は柄にもなく、訳の分らぬ戯言をツイ喋ってしまいました。お許しあれ。でも施す側に廻りたいネ。