同じ時代の空気を。

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                                            横尾小学校にある化石 上 ↑
 早朝散歩⇒家を出ると路面が濡れている?雨は上がったのでは無かったのか?、空を見上げると。星がまた
 
たいている もう大丈夫だろうと思って傘も持たずに歩いて行く山の麓の公園を抜けて緩やかな山道を上っ
 
て行く、あれ?小さなが頬に当た!マサカ?と思って帽子を脱いでみるとハゲ頭に小さな雨がダイレクトに
 
当ってくる、これ以上、降られては堪らな、と思って急ぎ足で戻ってきた。←逃げ脚だけは早い
 
家に帰って朝食を済ませ、今朝のブログは何を書こうかいな?と思ったところ、昨日のブログに書いたJR元町
 
駅と阪神電鉄元町駅が浮かんできた。私の13~15歳の頃は、この辺りは、少し下がると元町商店街が大丸
 
前から神戸駅の近くにあった三越まで延々と商店街が続いていた、その商店街もいまでは西へ行くほど寂れて
 
イメージ 2いるでも!東の方には大丸と南京町(中華街)が
 
あって観光客を捲き込んで賑っている
 
その中華街を思い浮かべた瞬間、中華街で華僑(か
 
きょう)の役員をされていた(女性)さんの事を思い出
 
したのだ。
 
何故かと言うと彼女は凄い能書家だったんだ。
 
有る時、何処で書を習ったのかと聞いたことがある。
 
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 その時、彼女が言ったのは、誰にも習っていない、こん
 
な文字を書く手を持って産まれましたと言っていたのが
 
昨日の様だ。そのさんもタブン、この世には居ないか
 
いないと言えば、陳舜臣さんも、先日、老衰のため
 
旅立った。さんや司馬遼太郎さん、そして陳舜臣さん
 
と、心に残る人達が去って行く。
 
でもコノ人達と同じ時代の空気をすって生きていた事が                                             神戸の貿易商・呉錦堂が建てた「移情閣」↑ 
 幸せだったのかも。な~んて柄にもなく思ってみた。