道しるべ。

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 早朝散歩⇒今朝も奥須磨公園でストレッチを済ませての帰り道、大池と新池の所まで来ると木製の道しるべ

が立っている。その道標を見た途端、初めて車で東京へ行った時の事を思い出してしまったのだ  

国道1号線(東海道)を京都から逢坂山を越える時「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさ

じ」
なん~て清少納言を思い出しながら越えたことを、

蛇足だがこの詩は孟嘗君食客が函谷関で鶏の鳴き声をまねて関所の門を開けさせた故事に由来する。

  平安時代の女官も中国の歴史を勉強していたんだ。びっくりポンだね(^^♪

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⇒逢坂山を越えると琵琶湖だココには瀬田の唐橋(せたのからはし)が架かっている。

その昔、東国から京の都へ攻めのぼって来る軍勢があれば、この橋を切って落とす、重要な軍事拠点だったん

だ。そのまま1号線を東へ進んで行くと、やがて国道8号線(中山道)と1号線(東海道)の分岐点の栗東だ。

左へ取れば8号線、直進すれば1号線だ⇒雨の土山を過ぎて鈴鹿峠を越えると関(鈴鹿の関)だココにも関所が

あったんだ。⇒そのまま進んで行くと追分(分かれ道)だ。

この分かれ道には 左へ四日市,、、、右へ伊勢、、と 石の道標が立っていた。

あのころ、追分と聞けば広沢虎造浪曲に出てくる追分の三五郎が浮かんできたものだ(笑)

近頃では馬鹿でもチョンでもカーナビやスマホの御蔭で簡単に目的地へ行く事が出来る良い時代だ。 

一昔、前までは「道しるべ」が頼りだったんだ。特に頼りないオイラには\(^o^)/