朝陽に拍手を打つ\(^o^)/

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早朝散歩⇒今日は火曜日、生ゴミを出す日なので、ゴミの集積場へ立ち寄り、ゴミ袋を棄てた後、

何時もと違う道を歩いている。山麓の方に向かって、行くと突き当りが三叉路である。

立ち止まって、東の空を見ると奇麗な朝焼け雲が一日の始まりを告げている\(^o^)/

そこへ少し遅れて、追いついて来た家内が奇麗やねぇと言いながら、さっき(関西弁で先ほど)家を

出た時にサラリーマン風の人が、あの、奇麗な空に向かって、立ち止まりピッと一礼していたよと、

言うのである。そうか?私達の子供のころは近所の御年寄りは朝陽に向かって拍手(かしわで)を

打っていたものだ。・・・・でも今は見かけない?昔の人は現代の人と違って、信仰心が篤かった?

のだろうか?もともと信仰心なるものは、鮭が上って来る川に、獲物が棲む山に、穀物を得る大地に、

対して信仰を持ち、感謝を込めて、礼拝していたのである。

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ところが、何時の頃からか?賽銭箱なるものが出現し、人の心が変わり始めた?賽銭箱に銭を投げ入れ、

御利益(ごりやく)を強請る(ねだる)ようになり、その浅ましさが、後姿に表れるのである(笑)

毎年、初詣の風景を意地悪く見ているのだが、賽銭を入れ昨年の無事にお礼を述べ新年の家内安全を誓う

これが、普通の人々の姿であろう(*^_^*)ところが中には千円ほどの賽銭を投げ入れ、2分位長々と

手を合わしている人が居る?ひょっとして御利益を願っているのだろうか?もし頭の中の事がテレビの

画面に映し出されたら、きっと、見ている人は面白がるであろうと、その後姿を見ているのだが???

千円の賽銭でビックリするほどの、お願い(要求)をしているのだろうかと??神仏も大変だ\(^o^)/

そんなに、沢山のオネダリを聞き届ける、神様や仏様が可哀想だと心配しながら、歩いていた(*^_^*)

◆昨夜の献立、①鶏肉と茸の混ぜご飯、②サンマの南蛮漬け、③ゴボウの天ぷら、

         ④グロッコリーのニンニク炒め、
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