苦餅を食う\(^o^)/
早朝散歩⇒今朝も夜明け前の薄暗い山道から、眠りの町(写真上)を眺めながら、お地蔵さんの所まで、
やって来た⇒寒暖計を見ると、1℃かなり冷え込んでいる、お地蔵さんに、お参り⇒昨日はシメナワ?
今日は小さな二段重ねの、お飾り餅が供えてある(*^_^*)毎日、散歩の途中、お参りする、誰かが?
お供えしているのだ。後は灘の生一本をお供えすれば、お正月の準備は完了か?なんて、無責任な事を
考えている。その後は何時も逢う人たちと挨拶を交わし、ひと通り体操を済ませて、また散歩⇒~~~
⇒歩きながら、先ほどの、お餅のことを考えている⇒今日は二十九日、私達の子供のころは、近所の
長屋(ロングハウス、笑)の空き地や、お家の前で、簡易なカマドの上に蒸篭を載せて、
もち米を蒸し、それを木臼や石臼で親戚の人たちや、近所の仲良しが、元気良く、搗いて、
いたものだった\(^o^)/
そんな光景が?何時の頃からか?見なくなってしまった(-_-;)それに、その頃、年末の二十九日には
お餅を搗かない、地域もあった。理由は九が苦しみの「苦」に通じ「弐重の苦」と考えられて、
この日にお餅を搗く事は「験=げん」が悪いと、縁起を担いだようだ(*^_^*)
また、他の地域では、わざわざ二十九日に搗く所もあった⇒そこの地域の人たちは、その「苦=九」を
食ってしまって、排泄してしまえば?苦から、逃れられる?との解釈から、
この日に「苦餅」を搗いたと、聞いた事がある\(^o^)/
明治の初めごろは生田神社(藤原紀香さんが挙式した所)の門前の小さな寒村であった神戸村へ
⇒開港に合わせて各地方から、多くの人達が異文化を持って、やって来た事が、この様な、二つの
シキタリ?や習慣を生んだのか?その習慣も、今は昔か?何て、懐かしく思いながら歩いていた(^o^)丿
◆昨夜の献立、①長芋とカニ缶の餡かけ、②蒸し豚とサニーレタス
③大根のキザミ、④卯の花(オカラ)⑤ワカメの味噌汁、