恩は石に刻む(*^_^*)
厄神さんは、奥須磨公園の西の端に在るのだ⇒何時ものコースからは少し先になるので、そこへ向かって
歩いている。公園の中は、お正月の閑静な空気が流れ、時々、野鳥の鳴き声が静寂を破っている。
やがて神社の東の階段に差し掛かる、上り詰めたところが、納札所(古い御札など神飾、等を返す所)
なのだ⇒そこを右にとり、少し行くと、手水場(洗心石)、ココで作法通り手水を取り、口を漱ぎ、柄杓
を返す、⇒階段を登ると、厄除八幡宮の扁額が金色に輝いている⇒本殿に進み、賽銭箱に賽銭を投げ入れ
二拝二拍手一拝の作法に従って、旧年の無事に、お礼を述べ、⇒家内安全を祈願した。(*^_^*)
108の煩悩は除夜の鐘と共に打ち棄てた筈なのに?またまた、厚かましいお願いを、神様にしようと
している、自分の姿が浅ましい(-"-)←所詮、人間はこんなモノか(笑)
そこを過ぎて、案内表示に従ってゆくと、紙を人形に切った、多くの、流し雛が水面に浮かんでいる?
流し雛か?「辛苦や恨み事は水に流し」「受けた恩は石に刻む」とは、この事か?
「恩は石に刻む」?怨みは何時までも忘れない癖に、人の恩は直ぐに忘れる、だから石に刻んで、忘れ
ない様にとの教えなのか?←それほど恩は忘れるものなのだ(笑)
逝った母が言っていた⇒あの人にあれだけ、お世話や親切にしてやったのに、後足で砂を掛けられた。
何て言う人が自分の近くに居たら、絶対に近寄るなと。
お世話や親切が出来た時は、銭金以上に、いい気持ちを味わえた筈、その上、何をにぞむのか?と