北海道岬めぐり№2(宗谷岬)

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明けて4月17日目覚めたのが5時、何時もならこの時間に起きて支度を済ませて早朝散歩と言うことになる

のだが?ここは旅先だ、とにかく洗顔を済ませて、少し散歩をする事にする。

ホテルを出る最北の地、稚内と云うのに寒くは無い?歩いて約7分位の所にある、南稚内駅を訪れる、

ここが最北の一つ手前の駅か、何故か物悲しい駅舎をデジカメに納めて、稚内港へ足を伸ばす、

昔TVで見た巻き網船団の荷揚げ風景や賑わいは今は無い(-“-)

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巻き網船であろうか?陸に上げられて修理中の?船体が波濤に耐えて来たのか如何にも痛々しい(-_-;)

そんな風景の道すがら昭和を思い出させるような2階建ての文化住宅が潮風に耐えてきた証なのか?

鉄骨の赤錆びた柱が何とも物悲しげに映るのだ。

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その後、ホテルで朝食を済ませて、バスは一路⇒宗谷岬へ⇒岬には日本最北のモニメント,横には

間宮海峡に名を残す間宮林蔵銅像樺太を望み,ぐっと睨んだ意志の強さと覚悟が胸に迫ってくる。

それに比べれば大正に生れて戦争を起こし見事に負け(-"-)ドサクサ紛れに土足で国土を奪われても

情けなく戦後60年、只見ているだけの、政治家と外務省官僚達、でも給料だけは働きに反して確りと

多く持って帰る内弁慶の腰抜け達、あぁ~書いているだけで胸が悪くなる(-"-)

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そこを過ぎてバスは白鳥が羽根を休めている、クッチャロ湖へそこで小休止をとり⇒次に日本海に別れを

つけてオホーツク海を望みながら⇒網走へ道中バスガイドさんがオホーツクとはロシア語で広い河と言う

意味ですよと、教えてくれる。

イメージ 9イメージ 10  ★写真右は凪の浜辺で、潮干狩りをしていた。

そんな中、明治時代に北海道に入植してきた、人達の困難や苦労を名調子で語ってゆく、このガイドさん

の知識は半端じゃない、凄く勉強をされていて、ガイドとして非の打ち所が無く文字通り才色兼備なので

ある。それに比べバスの中のご婦人達を見ていると、才色兼備と言うよりも採食チョンボと言うような

方々も中には混ざっているのでは無いだろうかと、つい失礼な事を思い浮かべてしまった(笑)

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司馬遼太郎さんの「街道を行く」に書いてあったが、明治の法務官僚が受刑者を開拓にタダ同然に使い、

死ねば税金で飯を食わせずともよいと公言したとある、その非人道的な奴隷労働を強いてきた、

網走監獄を訪れる。

訪れた日は風もなく温かい日和のためか?開拓当時の受刑者の苦しみや辛さは、幸か不幸か伝わってこな

かった。それでも、開拓初期、入植者が通るために原野を切り開き道路を作るために奴隷のようにこき使

われた、囚人達のタコ部屋(宿泊設備)の有り様を見ると、痛ましく、涙を必死に堪えて眺めていた。

奴隷労働、人間が人間を動物以下に酷使する、我が国には有史以来、ほんの70年位前まで存在していた

事を思うと、人間の愚かさに改めて情けなく胸の痛む思いをした。

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バスは天都山~ガイドさんの名調子を聞きながら今日のお宿、川湯温泉へ⇒もう少し行くと昭和の名横綱

大鵬関の実家が遣っておられる土産物屋さんですと、紹介している、←巨人大鵬卵焼きを思い出す(笑)

程なくしてバスは北海道でも「いちに」を争うと言われる名湯、川湯温泉郷のお宿に到着。

荷を解き約400㎞走行の疲れを自慢の名湯で癒し、毛蟹に舌鼓を打ちながら、夜は更けていった(*^_^*)