重そうな如雨露。
早朝散歩⇒今朝も暑い暑いと文句をたれながら、山の小道を歩いている。こんな事をいくら言っても涼しくは
ならないのだが、そこはそれ!思料のたらない呆け老人 つい!口に出てしまうのだ。
そんな暑さの中の帰り道、横断陸橋の上からY小学校の学習用の農園を見る、5年生ぐらいの小学生が一人、
大きな如雨露 (じょうろ)を持ち腰を屈めて歩いている?
じっと上から見ていると、トウモロコシ畑の前で立ち止ま
った。すると、態勢をかえて、如雨露を持ちなおし、トウ
モロコシの根元に目掛けて水を撒きだした。
その姿を見ていると、何だか?微笑ましく思ってしまっ
たのだ。 彼は今日が水やり当番に当たっていたのだろ
うか?それとも、この暑さだ、トウモロコシの事が心配に
なって自主的に水を撒いているのだろうか?
何れにしても、生き物を育てるのは大変だ。
水やりをしている彼はトウモロコシが枯れない様に見守
っているのだ(^^♪ところが、その彼は両親に育まれて、
生きている事を自覚しているのだろうか?でも!其れを
意識せずとも、トウモロコシの水やりを通して、両親や先
生の事を思うのかも?なんて、ちょっと思ってみた。
そのあと、水やりを終えた、彼は軽くなた如雨露を如何にも軽そうにぶら下げて歩いていた。←きっとこんな子は
思いやりのある善い子に育つのだ。な~んて思いながら見つめていた\(^o^)/