少年H (^-^)
行ってきました、少年Hを観にいきに(^-^)三ノ宮駅に着いたのが10時、次の上映は10時50分だ、少し早い
がモシ?混んでいれば嫌だからと、言う事で神戸新聞会館へ、えっ!エレベーターの前は混んでいる!それで
もエレベーターに上手く乗れて、9階の会場へ、やや!チケット売り場から長蛇の列が続いている、並んでいる
人は我々と同年輩のひとばかり?と言いたくなるような光景だ。中にはお孫さんを連れて、見に来ている人も多く
居る?お爺ちゃんやお婆ちゃんは自分たちが生きた時代を孫たちに知って欲しいと思ったのだろうか?そんな事
を思いながら列に並んで順番を待つ。やっと、我々の番が来た。係員が、どの席になさいますかと聞いている?
席のパネルを見ながらこの辺が良いのですが、と言うとN14、N15、で良いですか?とい言ったので、其れに決
めて、チケット購入は完了(^o^)チケットを購入した後、山の方の景色が見える所へ移動⇒観ると布引の方には
高層マンションが立ち並び、その反対の西側には異人
館が見えている。今から観る主人公の少年Hも異人館
を訪れるシーンもきっとあるのだろうと、思いながら神戸
の街並みを眺めていた。。。さぁ~いよいよ上映だ。
映されてゆく景色は懐かしい景色ばかりだ。須磨の浜
年Hの、お家はこの駅から東南に少し下った所だったん
だろうか、少年Hはお父さんと一緒に市電に乗って、異
人館へ。この市電は私が神戸に引っ越してきた当時は
石屋川から須磨の終点へ行く路線があったので、少年
Hはたぶんこの路線を使い三宮や加納町へ出ていたの
では?何て思いながら、映しださせる映像を眺めている
⇒映画は太平洋戦争へと突入し、理不尽な時代へと入
ってゆく、この映像を見ていて、自分の母親が何時も言
やって来て、巌(いわお)はおるかと、厳しく詰問し、居ませんと答えると二人の特高は土足で家に上がり込み家
探しして、居ない事が判ると、巌が帰ってきたら、警察に来るようにと、捨て台詞を残して、立ち去ったと言うのだ
そんな母が何時も言うには、アンタがあの時代の青年ならば、ブタ箱行きか?そうで無いなら、片端(かたわ)にさ
れるか殺されていると言っていた(-"-)其れに神戸大空襲のシーンだ。場所は違うが私達家族が疎開をしていた
場所から見た空襲の光景を思いだす、当時、私は4歳だ親父は西の方を指さし、私を肩車にして、戦争は負けた
良く見ておけよ、爆撃を受けているのは若江の航空学校だ。今思い出すと焼夷弾は40ワットの蛍光灯が雨のよう
に青く光って降っているのだ。地上に落ちたかと思うと、ド~ンとドラム缶が火を吹いて空中に舞いあがる
まさに地獄絵図だ。数日経つと、お父ちゃんの云った通り戦争は終わった。
その後は食糧難で、米やサツマイモの買い出しの時代だ。当時、信州の松本へ米の買い出しに行った時、名古
屋の街も焼け野原、駅のプラットホームから海が見えていた。夜になると駅前は屋台が並び「クジラの味噌だ
き」どうじゃも。と売り声が響いていた。この映画を見て、様々な事が蘇ってきた。ただ、言える事は、戦争は絶対
にしては成らぬもの。成らぬものは成らぬのです。だれが、何と言っても。そんな事を思いながら映画館を出て、
久しぶりに、ナンバ粉(トウモロコシの粉)の団子汁ならぬ。美味しい握り寿司を、食べて帰って来た。有難いネ