煩悩無限。

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 今朝も奥須磨公園の池の畔を歩きながら、何時ものようにショウモナイことを考えながら歩いている。と、
 
言うのも昨日のブログで、あと三匹釣っていれば、108で煩悩の数と一緒だったと書いたのだが。この煩悩の
 
数。いったい誰が数えたのか?どうせ何処かの坊主がその辺に転がっている数字を掛け合わせたり、足したりし
 
ながらコジツケた数なんだろう~だって、私は昔、観光地で楽焼の湯呑に「煩悩無限」と書いて、焼き上がった物
 
を送って貰ったことが有るのだ。その湯呑も床に落としてしまい木っ端微塵に割れ今は無い。←割れずに有れば
 
イメージ 2良いのになぁ~と思うのは人間の持つ小さな欲か?
 
煩悩とは、欲望や怒りや迷いの事を言うのだろうが、
 
この欲望(あれも欲しい、これも欲しい)が無ければ、
 
文明は発展しなかったのだ。
 
子供の頃、母親が毎朝五時に起きて、ご飯を炊いてい
 
た。寒い冬の日などは、愚痴で、お米を洗って御釜の中
 
へ入れておけば、好きな時間に、ご飯が炊けていれば
 
イメージ 3良いのになんて、お父さんに言うと、父はアホチャウ
 
と笑っていた。でも数年後には電気炊飯器が出来
 
ていた。それに定年まで勤めていた会社の営業部長
 
は、子供の頃、初めて買ってもらったカメラで家族の写
 
真を撮り、直ぐに裏ぶたを外して、写真を撮りだそうとし
 
たが、当然ダメだった。彼は直ぐに写真が出来るものだ
 
と思っていた。だが周りの人に大笑いをされたと一つ話
 
のように語っていた。ところがそれも、十数年後にはポラドイドカメラがアメリカで出来ていたこんなモノが有
 
れば良いのに、と思うのは凡人、そのヒントを発展させて商品にした者が、人々の生活を豊かにしていけるのだ。
 
な~~んて、何も造りだせないボンクラは今日も池の畔を彷徨っていた。