追分?

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早朝散歩⇒5時45分に家を出る⇒なだらな山道を登り、お地蔵さんの近くまでやって来た。前方にリュックサック
 
を背負った女性が石柱の道標(みちしるべ)の所を左へとる。数メートル後を歩いていた人が右へとって階段を下
 
ったて行く。そんな後ろ姿を見たとたん、何時ものアホな親爺は、ショウモナイ戯言を想い出して、しまったの
 
だ。そう!あの「パッチはいて屁をこけば右と左に鳴き別れ」と言う寝言なのだ。
 
そうだ?道標は分かれ道に建っているのだ。そう言えば50年ぐらい昔、初めて神戸から東京へ車で走った事が
 
ある。その時、京都を過ぎ⇒逢坂山の関所を越え⇒瀬田の唐橋を渡り⇒草津名物「姥ヶ餅」の看板を見ながら
 
栗東へここは東海道中山道の分かれ道だそのまま1号線(東海道)を東に進み⇒ミナグチ(水口)~雨の
 
土山を通り⇒鈴鹿峠を越える。そのころ、鈴鹿トンネルは狭くてトンネルを出た途端、直角に右に曲がっていて、
 
恐ろしく危険な所だった。峠を下ると関の町だ。ここは地名がしるす通り江戸時代は関所だったんだ。
 
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⇒そこを過ぎて暫く走ると、分かれ道になる。石柱に「追分」と彫ってある。右へ行けば、お伊勢参り伊勢神宮
 
だ。左へ進めば四日市に出る。その時、初めて「追分」とは分かれ道だと知ったのだ。 ←今思うと追分なんて、
 
落合と言う地名と同じで日本国中には幾らでもある。その時、思った事は浪花節浪曲)に出てくる。
 
追分の三五郎はひょとして?ココの人かと思ったが、後年、知ったことだが浪曲に出てくる三五郎は信州の追分
 
宿に生れた893 (やくさ)だったのだ。朝からショウモナイ話ですみません。