追分?
早朝散歩⇒5時45分に家を出る⇒なだらな山道を登り、お地蔵さんの近くまでやって来た。前方にリュックサック
を背負った女性が石柱の道標(みちしるべ)の所を左へとる。数メートル後を歩いていた人が右へとって階段を下
ったて行く。そんな後ろ姿を見たとたん、何時ものアホな親爺は、ショウモナイ戯言を想い出して、しまったの
だ。そう!あの「パッチはいて屁をこけば右と左に鳴き別れ」と言う寝言なのだ。
そうだ?道標は分かれ道に建っているのだ。そう言えば50年ぐらい昔、初めて神戸から東京へ車で走った事が
恐ろしく危険な所だった。峠を下ると関の町だ。ここは地名がしるす通り江戸時代は関所だったんだ。
だ。左へ進めば四日市に出る。その時、初めて「追分」とは分かれ道だと知ったのだ。 ←今思うと追分なんて、
追分の三五郎はひょとして?ココの人かと思ったが、後年、知ったことだが浪曲に出てくる三五郎は信州の追分
宿に生れた893 (やくさ)だったのだ。朝からショウモナイ話ですみません。