筍ご飯の次は豆ご飯\(^o^)/
早朝散歩⇒5時45分、山の小道から見える朝陽は春霞み、ゆえに、誰かの頭のようにボヤケテ見えている
お地蔵さんの所までやって来た。何時ものようにお賽銭を上げて、お参りをすませて?なんて、言うと信心深くて
真面目そうな印象を人様に与えてシマイそうなので。一寸、言い訳をしておこう(*^_^*)
正直に言って、人間が考え出した(創った)神仏なんて、信じてはいません(笑)では!なぜ?地蔵様に手を合わ
せているのか?と言われれば、毎朝、ココまで元気で来られる事に感謝して、手を合しているだけなのです。
だからこれがお地蔵さんでなく、只の大木や巨石で有っても良いのです。何か?手を合し毎日の健康に感謝が
出来る対象物であれば、十分なのです
そんな、ショウモナイ事を、考えながら山から下りて来
た。大通りを渡り少し行くと、緑色の幟が見えて来た。
ファミレスの「豆ごはん」の幟だ、先々週は「筍ごはん」
の幟だったのに。早「豆ごはん」の幟へとバトンタッチし
ているではないか、何事にも影響されやすいノブヤンは
先週の日曜日に「筍ご飯」を炊いたばかりだ!と、
言うことは、今日の晩御飯は、スーパーへ行って
「うすい豆」を買って、豆ご飯を炊くことにするかと、
思いながら歩いていた。←この和歌山産の「うすい
豆」は皮が薄くて、青臭さの少ない、甘くて美味しいお豆
さんなのだ。 亡くなった、私の母などは、この豆の
鞘の部分を折って外皮を剥き、お出汁で焚いて「卵とじ」
にして頂いていたものだ。終戦後はカボチャの蔓の皮を
剥いて蕗のように、頂いていた。 始末ごとは知恵を使いなさいと何時も言ってい。 エンドウ豆の花↑