どうやって冬を越すの?

イメージ 1

 早朝散歩⇒今朝も奥須磨公園までやって来た何時ものようにチビッコ広場でストレッチ、低い鉄棒に掴って

胸を反らすと、上空には有明の月が瞬いている。そうか?今日は大晦日なんだ。

今年もタダ何となく時間が過ぎて行ったと言うことか、亡き母が人間の価値は自分より弱い者の役に立つか?

立たないかで決まるものだとよく言っていた。 となると、自分はいったい何なんだ?誰の役にも立たずタダ無気

力な時間を過ごしたと云うことか、只言えることは誰にも迷惑をかけないで生きてきただけ。

ヤッぱりコレでは亡き母にフン!と鼻さきで嗤われそうな予感がする。

イメージ 2

 そんな事を思いながらストレッチを済ませての帰り道、椿谷公園までやって来るとナンキン櫨の梢の上でヒヨド

リが鳴いている?そうか、このナンキンハゼの木には多くの小鳥たちが遣ってきて、この実を好んで食べるのだ

そのため、残り僅かとなっている?と、思った瞬間「ひよどりや霜の梢に鳴き渡り(惟然)」と云う句が浮かんで

きた。ヒヨドリ(鵯)にしてみれば、どうやって冬を越せばイイのかと言ったところだ。

今朝はそんな事を思いながら大晦日の街を歩いていた。