湯船の中で。

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                      龍安寺の蹲⇒ 吾唯足知↑の蹲は口の文字を中心に図案化されてい
 五時に目が覚めた新聞を取るために玄関へ、?新聞がポリ袋に包まれている。表に出てみると雨が降って

いる・ ・ ・ ・雨か!と言う事は今朝の散歩はお休みだ

神様が下さった休養日だ(神仏を信じていないくせに こんな時だけ神様を口にする)

そうだ、昨日の釣りは一日中、立ちっ放しだったので身体が疲れている。

こんな時、疲れをいやすには、お風呂が一番だと 思いたったので風呂場のタッチパネルをON!

お風呂が沸く間、新聞に目を通す。やっぱり甘利氏は辞任した(ドウやら業者に嵌められた様だ?)

そんな事を思っていると「お風呂が沸きました」と電子音声で伝えている。

シャワーの温度を40度に設定して、湯の噴き出し口に手をかざし、温度が上がって行くのを確かめる。

いい塩梅だ(^-^)次に足元から順に頭へと湯を掛けて行く、この順番を無視すると閻魔様がお出迎え

次に湯船へ⇒ちじこまった身体の力を抜くために 湯船にもたれて、ゆっくりと息を吐いて行く~ ~ ~ ~

あぁ~シワヨセ(^^♪ コレから雨の中、お仕事に出かける人たちの事を考えると何とも言えぬ罪悪感。

だが人間は本来、悪を宿している(性悪説)その為、あぁ~シアワセ(^^♪なん~て思えるのだ。

でも、ある人は、そんな事ぐらいで悦びを感じるなんて人間が小さいと仰る方もいる。

果してそうだろうか?古代の思想家、老子は「足るを知る者は富む」と言っている。

その言葉を借りて京都の龍安寺の蹲(つくばい)には「吾(われ)唯(ただ)足るを知る」と図案化されて

刻まれている。←深い言葉だね。欲張ってはダメだよと言うことか?