たわごと。
早朝散歩の帰り道、ふと見ると曇り空を背景に教会の尖塔が意味ありげに佇んでいる。
そんな風景を見ていると何故か不敬な事が頭に浮かんできた。
わが民族は神社やお寺に詣でた時、日頃の無事に感謝して賽銭箱へお賽銭を投げ入れ手を合わす
中には感謝の気持ちなど「おくびにも出さず」 只、ゴリヤク(御利益)だけを期待して賽銭箱へ五円玉
を投資する(笑)欲深い人は二重に御利益を期待して25円と洒落てみる。
当然、中にはウン万円の人もいるだろう。だが如何ほどの利益(リターン)を期待しているのだろうか?
いやはや紙様も お困りだろう。あっ!違った神様だった いやぁ~人間て悲しい生き物だね。
モシ!神仏が願いを叶える事が出来るなら、テロも戦争も起こらない、当然、世の中には貧困もない
筈だ。ひょっとして、賽銭箱の中から銭を出しナンマイダ~(何枚だ?)と銭勘定をしているかも(笑)
余談だが宗教オリンピックを開催し、民衆の希望達成度を競わせては如何だろうか?
な~んて不信心者は思ってみた。