終戦と餓え。

イメージ 1

  早朝散歩⇒5時10分燃えない分別ゴミを持って家を出る。あれ?路面が濡れて

 いる。細かい雨が降っているのだ。また家に戻って傘を取り、その傘を持って、

 ゴミ捨て場へ、ゴミを捨ててまた歩き出す
 
イメージ 2

 ところが、細かい雨が本格的に降りだして来た。慌てて傘を差す

 散歩は止めにしようか?と思いながら、歩いていると、ふと今日は終戦記念日であ

 ることを思い出した。。。昭和20年8月15日の数日前、疎開先(大阪八尾)から

 西の方を見ると爆撃機から焼夷弾が雨の様に投下されている。

 今思うと蛍光灯のような光りを発して落ちてゆく様だ。次の瞬間、地上からドラム缶

 が破裂して空に舞う小坂の航空学校だろうか?私を肩車をしていたお父さん

 が、〇〇ちゃん、よく見て置けよ、これが戦争だ。

 そんな事を聞いて数日後に、戦争は終わった様だった。

 それからが食糧難の始まりだった、都会に住む者は飢え苦しみの日々が続いて

 行く。思い出しただけで涙が滲む。辛くて言葉にしたくない

 近所に住む人のお父さんが戦地から帰って来た。其の人が一つ話にしていたのは

 戦争で敵弾に倒れた人より、兵隊の食べるものが無くなり餓死して死んだ人が

 殆どだとよく言っていた。。これが戦争を指導した人たちの過ちの実態なのだと。。